国立大(理系)の駄文

月1ペースで書きます。

日本人として


 大学に通うようになり外国人と交流する機会が少しあること、TVで日本についてとりあげる日本の番組が多いこと、日本人のノーベル賞受賞もありました。そこで思ったことは“日本人として”といった感覚が僕には無いということです。
 外国人と接するときも最近は○○人だから××というのは失礼だと感じていて、そういうフィルターを外しています。そもそも自分が知っている○○人などたかが知れた数字であり、TVで放送することも断片的であるのでそんな些細な情報だけで国民性を語るのはおかしいですよね。そのように○○人といった見方ではなく個人としての人を見るようになると「国とは何なんだろう?」と思います。“日本人として△△受賞”に何の意味があるのか分からなくなってきます。(そう言っておきながら日本人が活躍すると嬉しいですが。)
 科学技術に関してもどの国の人が開発したかが重要ではなくどう地球に活かされるかですし、日中韓で友好関係が冷え込んでいると言われていますが、僕は仲良くしています。これらも国は関係ないですね。
 少子化により労働人口が減少すれば近隣諸国の移民受け入れも増えると思います。その時にまた純日本人と別の人の割合が変わればまた新しい国民意識が生まれるかもしれないですね。Cf: Kazutera Kodera(id:kz1979)さんが記事にされていた本をさっそく購入しました。国とか国家とかいう概念が「どうでもいいかも」と思えてくるんです - kzのブログ